体育祭は年に一度の学校行事ですが、誰しもが楽しみにしているわけではありません。
中にはトラウマや嫌な思い出を持っている人もいます。
では、体育祭に嫌な思い出を持つ人は、どんな経験をしているのか?色々な人に聞いてみました。
また、ここでは「乗り越え方、対処法、体育祭を好きになる方法」などについても紹介しています。
体育祭に嫌な思い出は?
リレーでこけて、その拍子に捻挫して、大恥をかきました。
翌日にからかわれまくりました。
本当に嫌な思い出ですね。
もう忘れたいですが、思い出すと未だに顔が赤面しちゃいます。
その日にお腹がピーピーでした。
体育祭の100m走で出番が来るまで、腹痛をこらえながら待ってました。
自分の出番が来て、100m全力疾走したら、50m付近でウ〇コが全部出てきた。
しかも体操着は半ズボンだからズボンの隙間から茶色い色水と茶色い固形物が!!!!
100m走でしたが、周囲にバレたくないから、わたしはトイレまでをゴールに300m走をしました。
最悪な思い出です。
色々ありますね。
上げるとしたらこんな感じかな?
・運動が出来ないから、チーム競技は邪魔者扱い
・ダンス演目で自分がチームに加わると微妙に変な空気になる
・体育祭で走り方が変だとクラスメイトに笑われる
正直、嫌な思い出を上げたらきりがないですね。運動音痴からしたら体育祭なんて地獄です。
体育祭に対して嫌な思い出がある人は多いです。
例えばこんな感じです。
★「嫌いな人と二人三脚をすることになってしまった」★「大勢の人の前で失敗して恥ずかしい思いをした」★「組体操で土台にされてしまった」★「足が遅いのにリレーに参加させられてしまった」★「運動音痴でどの競技をやっても周囲の足を引っ張ってしまう」これらの嫌な思い出は多くの学生が経験していることです。
親や先生は「そんなこと気にしなくていいよ」というかもしれません。
しかし、経験した当人にとっては一生もののトラウマになってしまうこともあります。
極端なケースだと、運動会で失敗したことが原因で、その後、不登校になってしまうこともあります。
嫌な思い出をいつまでも引きずるのはもちろんよくないことですが、「気にしなければいい」のような精神論で解決する問題でもないのです。
体育祭の嫌な思い出の乗り越え方は?
嫌な思い出を乗り越える方法は一人で悩まないことです。
一人で悩んでいると頭の中が嫌な思い出の記憶で堂々巡りになるから。
これを心理学では反芻思考と言い、鬱病などの原因にもなる危険な状態なのです。
視野が狭くなり、まるで人生の終わりかのような悲観的な気持ちになってしまうこともるので、これだけは気を付けてください。
人に相談なんかしたってどうにもならないと思うかもしれません。
しかし、他人に気持ちを吐き出すことで気分が楽になるのです。
一人で悩んでいたときよりも、客観的な目で見られるようになります。
親しい友達や、学校の先生、親など、なるべく複数の人に相談するといいでしょう。
体育祭が嫌いで苦痛なときの対処法は?
体育祭がどうしても苦痛な時は休んでしまうのも方法の一つです。
無理なものは無理ですから。
本人が苦痛なものを無理矢理我慢することで成長につながるというのは、一昔前の考え方です。
そんなことをしても苦痛なだけなので、どうしても無理なら休みましょう。
しかし、あなたは本心では実は体育祭を楽しみたいと考えているのかもしれませんね。
その場合は、体育祭に参加したいというのが本心なのですから、苦痛な気持ちを我慢してでも参加する価値があります。
やりたくないことを苦痛な気持ちを我慢してやるのは、ただ苦痛なだけなのでやめた方がいいです。
しかし、本心ではやりたいと思っていることなら、苦痛を我慢してでもやる価値があります。
その場合は、学校の先生や親しい友達に相談して協力してもらいましょう。
体育祭を楽しく好きになる方法ってある?
人間は嫌いなものを無理に好きになることはできません。
体育際が嫌いな人は、何かのきっかけで好きになることはあるかもしれませんが、そうでない限りは嫌いのままです。
よく好きになる努力が大事といいますが、そんな精神論は役に立たちません。
それで嫌いなものを好きになれるのなら最初から悩んでいないはずです。
しかし、体育際を好きになる方法があるのか?という疑問を持つこと自体、実は体育祭が好きな可能性が高いです。
本当に嫌いな人は、そこから逃げたい一心なので、そもそも好きになりたいなどとは考えません。
あなたは本心では体育祭が好きであるにも関わらず、嫌な思い出のせいで、体育祭が嫌いだと思い込んでいるのかもしれません。
その場合は、先に述べた方法で嫌な思い出を乗り越えてください。
体育祭の思い出って大事なの?
学生時代の思い出は大事です。
それは一生の思い出になるから。
体育際のように仲間と一緒に一つのことを全力でやり遂げた経験は、必ず後の人生にも生きてきます。
たかだか学校の行事だと思うかもしれませんが、そんなことはありません。
もちろん、体育祭がそもそも嫌いで、どうしても苦痛だという人は参加する必要はありません。
それでは嫌な思い出が心に刻まれるだけです。
ですが、本心では体育祭を楽しみたいと思っているのに、少しの嫌な思い出のために棒に振るのはバカバカしいことです。
一生の思い出になることの意味をもう一度考え直すべきでしょう。