ブサイクな友人を見るとつい、イライラしてしまうことってありますよね。
「言動・行動・仕草」がいちいち鼻に突くものですが、友達として接したいですよね。
そこで、このページではブサイクな友達への嫌悪感を克服する方法を紹介しています。
友達がブサイクでどうしても好きになれない人は、ぜひ参考にしてみましょう。
ブサイクへの嫌悪感克服法8選!
顔をあまりみないようにして話す
基本的に顔か体型がブスなので嫌悪感を感じてしまいます。
そのくせ「自分なんて…」と努力もせずぐちぐちいう人が嫌悪感を感じさせやすいです。
そのためその人と友達を継続するのであれば、あまり嫌悪感を感じるところを見ないようにして、かつそのような容姿の話題を避けた方が結果的に自分がイライラせずに済みます。
性格など内面に注目するなど外見以外の良いところに集中する
どうしても外見で嫌悪感を覚えてしまう場合でも、その人と仲良くなりたい場合には、外見以外の良いところに注目すると良いでしょう。
そうすれば、その人の良いところがだんだん好きになって仲良くなりたいと思うようになるもの。
優しい、気が利くなどの良いところが分かれば、外見はあまり気にならなくなる。外見で付き合えっている関係は、大した関係ではないです。
「きっと嫌悪感を覚えているのは自分だけではないはず」と理解する
「容姿の綺麗・普通・そうでない」の好みは人それぞれですが、基本的には基準があります。自分が友達に対してブスだと感じている場合、きっとあなたの周囲の人たちも同じ意見だと感じます。
ですので、自分は相手を要しで判断して酷いという感情は持たなくて大丈夫です。
関係性にもよりますが、治すというよりは上手く表面上だけ付き合って深入りしない事です。
「その人はその人の悩みがある」と理解する
見た目に関して努力をしていないと感じたり、だらけていると感じると嫌悪感を感じたり、イライラしてしまうのです。
自分はこんなに気を遣っているのに友達はどうしてそのままでいられるのだろうという感情が影響しているので、友達には友達の考え方があって、悩みがあって、自分とは違う人間だということを考えましょう。
世界中の美の基準を勉強する
ネットで国ごとや大陸ごとに美人の基準で検索して、まずは美の基準は場所によって変わる主観的なものであって絶対的なものではないことを学ぶとその友達がブスとも言い切れないという気持ちになります。
例えば痩せていなければ可愛くないと思っている場合、アフリカでは太っていてお尻の大きな女性が美しいと言われていると知ったときにいろんなものの見方があるのだと勉強になるからです。
あまり対面で喋らないようにする
ブスだとしてもお友達なので話したりする機会はあると思います。
その時にまっすぐその人の顔を見るとイライラしてしまうかもしれないので、できるだけ顔を見ないようにして接すれば良いのです。
目の前にいる時は髪の毛とか首の方を見るようにすれば良いのではないでしょうか。
そして話すときはだいたい隣とかにいるようにすれば顔が見えません。
ブスなことを気にしてしまうことは仕方ないと割り切って他の良い所に目を向ける
ブスをブスだと思ってしまうのは仕方ありません。
ですから、そこを治そう治そうと思いすぎないことをおすすめです。
性格の良い部分に目を向けると仲良くできます。
友達として認識しない
いっそ友達と認識するのを辞めましょう。
友達だと言っていながらブスだと卑下したような言い方をしている時点で本当に友達なのか疑問です。
喧嘩した、または友達になって嫌な面が見えたというなら分かりますが、容姿の面で嫌悪感を抱いてしまうというのは生理的に受け付けないということです。
本当に友達になりたいと思って友達になったのでしょうか?
相手の容姿に関しての嫌悪感を治すというのは無理です。
自分の根本的な考え方を治すことは無理だし、表面的に仲良くしていても心のうちでは無理だと思い続けてしまいます。
ブサイクにイライラするときの心の鎮め方は?
何か話すたびに「うるせーブス」がと心で思う
心の中では何を言っていても聞こえません。
なので、心の中で思いっきり悪口を言いましょう。
あとで罪悪感が来るかもしれませんが、その時を乗り越えるために、心の中で悪態をついた方が、その時に手が出たり本当に嫌味を言ってしまわないで済みます。
そもそもそういう人と友達関係を続けるのは難しいかもしれませんが、対処療法的なのはこういう感じです。
自分もブスだと思うようにする
相手のことをブスと思っている、自分も大した顔ではないのが世の中の真実です。
モデルのような本当の美人顔は5%未満です。
つまり、95%は普通以下であって、相手をブスと思う自分も実はブスであるのが現実です。
それを受け入れれば、相手が無粋だとイライラすることはなくなるでしょう。
なぜならば、自分も大した顔してないからです。
鎮める前にモヤモヤをアウトプットする
無理にイライラの感情を鎮めようと思わないでください。
まず、イライラしいているんだなという事を受け止めましょう。
その後、しばらくして落ち着いてくれば話せる人にイライラした事を聞いてもらったり、紙に書きだしたりするのがおすすめです。
それでも落ち着かなければアクティブに少し身体を動かしたり、美味しいものを食べてリラックスしましょう。
その人から離れてその人を考えないようにする
イライラして怒りをぶつけてしまうのが一番良くないので、それを我慢するために友達から離れることです。
その子にイライラしてもいいことはないし、イライラしている自分も好きじゃないのです。
そうならないようにするための環境を自分で作っていくことが良いでしょう。
友達にイライラをぶつけたり、怒ったり否定したりするのではなく、人は人、という考え方を持つことです。
自分がその友達を下に見ているという事実を受け入れる
そもそも相手を下に見ていなければイライラすることはないです。
自分のほうが上であると思っている、そんな性格の悪い自分をまずは認めるのが第一歩です。
悪いのは友達ではなく自分だということです。
イライラしてしまったらその場で「あ、今私この人のことを下に見ているからイライラしちゃっているんだ」と自分の状況を一歩引いて見ると冷静になれるかもしれません。
垢抜けるよう勧める
女の人だったら不細工だとしても化粧で変わります。
なので、その人に似合いそうなメイクの仕方を教えたり、アイプチなど整形まではいかないけどそういった技術があることを教えます。
また、髪の毛が綺麗なだけでも、かわいく見える時もあるのでそういった垢抜け術を教えれば良いです。
男の人だったら眉毛の形を整えたり、髪型を変えれば垢抜けたりします。
「私もイライラされてるかも」とお互い様の考え方をする
「もっと可愛かったら良いのに。」と思うからイライラします。
それは友人関係でも親でも、恋人関係でもそうです。
人間、変われることと変わらないことがあります。
外見も少しは変わりますが、ブスは何やってもブスという言葉もあります。
変わらないと割り切ることです。
そして、私も外見や内面でお相手をイライラさせてるかも?と思うと、意識が自分に向くのでおすすめです。
無理して好きになる必要はない
ブスだと卑下した言い方をしている時点で好きではないです。
好きではない相手を無理に好きになろうとするのは難しいし、好きになろうでなれない自分に罪悪感を抱いてしまいます。
それが余計に相手を嫌いになってしまうきっかけになります。
好きになれないという事実を認め、お互いを傷つけないためにも離れるべきです。
ブサイクな人(友達)を好きになれないときの対処法は?
好きになることはないので友達認定しない
友達だと思うから嫌悪するので、いっそ友達認定を辞めましょう。
どうしても好きになりたいのであれば自分に暗示をかけてマインドコントロールするしかないです絶対無理です。
そもそも性格的にというか生理的に受け付けないということです。
生理的に受け付けない虫などが急に好きになることはほとんどあり得ませんよね?
だから友達として今後好きになることはないので、友達だと思うのは辞めましょう。
内面など良いところに注目する
人が人に惹かれる時というのは、たいていその人の優しさや心配りができるなど、内面的に素晴らしいと感じたときです。
内面的な部分が素晴らしい人とは、一緒にいて心地よく感じるものであり、それは相手の顔がいくら美人であっても、その心地よさは感じることはできないです。
外見上は美人であっても、それは性的感覚でから惹かれているにすぎず、人として惹かれているわけではないのです。
好きというより存在を認める心の広さを持つ
好きでない場合、容姿に関係なく無理に好きになる必要はありません。
付き合い上、どうしても一緒に行動したっり、会話をする場面が発生すれば自分と一対一にはならず、他の人も上手に巻き込んで会話をするなどできる事から始めてみましょう。
会話をする中で友達のいい面が見つかればそれを受け入れるところから徐々に慣らしていくといいです。
その友達の内面に着目する
その友達のいいところは必ずあります。
どうでもいい人なら考えなくてもよいが、友達であれば好きなところは一つくらいあります。
その友達がどんな人なのか、尊敬できるところはどこか、自分があこがれるところはないか、などを考え、想像することです。
また、見た目で人を判断してしまう自分の価値観を改めようと努力しましょう。
内面に目を向けられるように努力することです。
顔のパーツの細かいところで良いところを見つける
パーツのバランスよりももっと細かいところを見ると必ず良いところが見つかるはずです。
美醜に厳しい人はパーツのバランスが~とよく言っているイメージがあるので、バランスを見るよりももっとズームしていくと肌がきれいとかまつげが長いとか、もともとの眉毛の生え方がきれいとか耳の形がきれいとか良いポイントに気が付けます。
顔以外の良さを探す
どんなにブスだったとしても良い面はあります。
なので、その人の顔以外の声だったり、スタイルだったり、頭の良さだったり、または内面だったりと良い面を探します。
そうすれば自分がその相手より劣っている部分がひとつでも見つかるのではないでしょうか。
その人の顔以外の長所を見つけることで、顔はあまり良くないけど他の部分が良いしプラマイゼロだな、と感じることができるかもしれません。
性格の良い所に目を向ける
誰が見てもブスなタイプもいます。
ですが、そのブスの友達もすごく穏やかで一緒にいて心地良い子だったりします。
ですから、その子の優しさだったり、自分との共通点に目を向けると良いでしょう。
好きになる必要はないことを理解する
好きではない相手を無理に好きになろうとするのは難しいし、好きになろうでなれない自分に罪悪感を抱いてしまいます。
それが余計に相手を嫌いになってしまうきっかけになります。
好きになれないという事実を認め、お互いを傷つけないためにも離れるべきです。
醜いものが嫌いな自分の性格を直す方法は?
別に直さなくてもいい
人間誰しも汚いものより綺麗なものが好きですし、その感覚は直さなくてもいいような気がします。
なので、醜いものが嫌いな自分の性格を治すというよりは、醜いものに出会っても平常心であるように見えるような対策をとった方がいいです。
心の中では悪態をついてもいいので、最低限社会性というか普通の対応ができるようにしたらいいです。
心に余裕を持つ
醜いものが嫌いと思う人は、何を醜いと感じているのでしょうか。
外見を見て醜いと感じる当人の心に余裕が無いことに、当人が気づかなければならないです。
本当の美人は内面も美しいも人が多いのは、心に余裕があるからです。
外見で人を醜いと思う間は、自分が潜在意識的に自分の外見に自信がないことを表していることを理解すべきです。
生まれ持った性質なので無理に直そうとしない
醜いものが苦手、嫌いといった症状はあります。
それはその人が育った環境や境遇なども影響していますので、性格を直せない自分が悪いと考えこまないでください。
性格ではなく自分の性質や特性だと考えるようにしましょう。
どうしても直したいと感じるようであれば同じ悩みを持っている人がいないかをSNSで調べたり、実際に相談するところから始めていいのです。
性格は治りづらいのでまずは受け止める
自分の価値観を見つめ直して、どうしてこの考えが生まれてしまうのかを突き詰めることです。
自分に自信がなかったり、自分自身が「綺麗でいなきゃ」と思ってしまうからこそ醜いものが苦手なのかもしれないです。
他人を傷つけないためにも、まずは自分のことを見つめなおして、外に出していい感情と出してはいけない感情を見極める力をつけることです。
美醜の基準を少し緩めてみる
X(旧Twitter)の整形アカウントなどを見ていると、その人にとっての奇麗な人以外は全員ブス判定の、非常に基準が厳しい人がたくさんいます。
でも美の基準は国や時代によって変わっていく曖昧なものです。
ですので、まず自分の美の基準を少しずつゆるめて、いろんな人を見たときに心の中で「可愛い!」というと脳みそが可愛い理由を後から探してくれます。
自分の性格の悪さを知る
醜いものが嫌いなのは仕方ない部分もあります。
でも、誰にしても頭が悪かったり、運動神経が悪かったり、性格が悪かったりと欠点があります。
それは、きっと自分にも当てはまるのです。
その自分の欠点があるのに、お友達でいてくれる人がたくさんいます。
色々なことが苦手だったり、欠点がある人がいる中で、ブスな人はたまたま外見が良くないだけです。
なので、自分にも欠点があるのに人のことをとやかく言うのはどうなのかな、と少し考えてみましょう。
直そうと思いすぎないで価値観が変わるのを自然に待つ
ルッキズムは、幼い頃からの周りの環境でつくりあげてこられたものです。
それを短期間で直すのは難しいです。
でも直そう直そうと思いすぎないことが大事です。
自分の思想を否定しすぎると逆に直しにくくなるからです。
長い期間をかけて変わっていくと良いなぁと大きく構える必要があります。
染みついた考え方を治すのは難しいので無理しない
長年その考え方が自分の中で当たり前として生きてきた中で、突然変えろと言われても難しいです。
その考え方を治したいのはなぜかと考えた時、友達がブスだからという答えに行きつくのであれば、性格を治すことはできないです。
友達のためにという正当化した考え方自体が相手に失礼であり、自分の曲がった性格を治すきっかけにしようとしているだけです。
治すのは難しいので、無理しないことです。
醜いものが嫌いな心理って何?
誰でも綺麗なものが好きだから
醜いものが嫌いなのは、突き詰めると人類全員なので、心理的にどうとかの名前は後付けというかあまり意味をなさないです。
特にその状態が異常とかではなく、普通の現象だと思いますので何か直そうとしたり、気に病まなくてもいいです。
よっぽど人に迷惑をかけるとか普通の日常生活を送れないとかなら異常かもしれませんが。
恐怖感があるから
例えば、ゴキブリやムカデを見たらだれもが嫌いだと思うでしょう。
人は本能的に初めは外見で醜いものを嫌いになるのは仕方ないです。
それは恐怖から生ずるものだからです。
生物本能的に自分と相容れないと感じると、それを敵とみなす心理が働くからです。
それは最初の話であり、ゴキブリやムカデとはいつまでたっても内面を見抜くことが出来ないため、ずっと嫌悪感が永続するのです。
人間関係とは異なるものなのです。
本能的に働いてしまう感情だから
好きな食べ物、嫌いな食べ物、好きな場所、嫌いな場所があるように、醜いものが嫌いというシンプルな感情です。
潜在的に思ってしまう事なので自分でストップする事ができないです。
誰しも美しいものは美的観点から好まれる傾向がありますので、世論で考えると醜いものが得意という人の方が少ないです。
意図せずともよういう感情になると考えてほしいです。
醜いよりもきれいな方が好きだから
とても単純であるが、みんな綺麗なものが好きだからです。
また、醜いと努力していないのかもと思ってしまうからです。
怠惰な人間、だらけている人という印象が強くなってしまいます。
また、綺麗なものであれば自慢できるが、醜いものにはみんな注目してくれないからです。
損得だけで考えると、醜いもの自体には損しかないからです。
潜在的に自分自身に自信がないから
幼少期に誰かから見た目のことを言われてそれがトラウマになっている場合などは、言われた言葉を自分の心の中で繰り返してしまう人が多いです。
それがまたトラウマを強化してしまっているのです。
人は自分に自信がないと他者を受け入れるのも難しいです。
醜いもの=自分自身。自分自身を嫌いだから、自分よりブスな人を見下すことでプライドを保っているのではないでしょうか。
努力してない人が嫌いだから
多分醜いものが嫌いな人は、その醜い人が努力をしなかったせいでそのまま醜い姿にあることにムカついているのです。
なので、少しはきれいになるように努力をしなさい、と醜い人を見たら思うのです。
容姿が悪かったとしても、洋服のセンスだったり、髪型だったり、メイクだったりを垢抜けさせたら醜い人への怒りも少しは収まるのではないでしょうか。
醜いものが悪で綺麗なものが正という心理があるから
醜いものが悪だと教え込まれ、綺麗なものは褒められるという環境にずっといるとそうなります。
日本社会はかなりそれが強いです。
たとえば兄弟姉妹や友人、職場仲間などなど、人との比較からうまれる心理です。
醜いものが嫌いになるのは、周りからそれは悪だと思われているという思い込みからくる心理です。
幼少期から植え付けられたものがあるから
人格形成で一番の基盤となるのは親の教えです。
キレイな子、可愛い子は性格が顔に出ているというような話を素直に受け取ってしまったのではないでしょうか?
キレイに可愛くなりたいという思いから素直に人に優しく生活していく中で自分の醜いと思えるものに対して自分の考えと反すると感じるようになったことで醜いものが嫌いという心理になったのです。
不細工がむかつく人っているの?
不細工がむかつく人っているのでしょうか。
結論から言えば、普通にいます。
自分がブス・ブサイクであることを自覚していない人がいるため、そのような人は他人の顔が気になって仕方ないのです。
もしくは、にはブス、ブサイクがムカつくというより、ブス、ブサイクでも努力せず過ごしており、グチグチ自分の不幸を嘆く人がむかつく人が多いです。
自分のタイプの顔ではない醜い顔の人がいると、努力を怠っているなと感じるのだと思うのです。
あとは、虫などが生理的に無理な人がいるのと同じように、その人も生理的に醜い顔を見るのがきついのです。
自分が苦手な虫を見るとテンションが下がるように、ブスや不細工な人を見るとあまり良い気分にはならないのではないでしょうか。
そのため、自分の見える範囲に容姿が悪い人がいると自分のテンションを下げるそのブスな人に怒りを覚えるのです。
そして、関わることでその人と何らかの関係を持ち、それでイライラするのです。
また、基本的にブス・ブサイクというジャンル分けで接し方を変える人はもちろん一定数います。
そういう人は大抵、自分の立ち位置や周囲からの見られ方を気にしています。
ブス・ブサイクだけど表現を変えると愛らしいという事にもなります。
しかし、価値観が厳しい人もいますので、相手の内面を知る前から容姿が生理的に受け付けれないと判断して避けられることもあります。
他にも、「ブサイクのくせに」という悪口を聞くこともありますいし、SNSなどでも着ている服を「身の丈にあっていない」などと言われていたりします。
もちろん、ブスやブサイク単体ではあまり何も感じない人も多いです。
なぜなら関わらなければ風景と同じというか、景色と同じだからです。
また、美人ではない人でも性格のいい人、ムードメーカーの人などはいる。そのような人はムカつかれることがないと思う。顔よりもその人の性格や、身に着けるものにセンスがあるかなどが関係してくるのです。
たくさんいます。
男性も女性もそうです。
日本はそういう思想が多いです。
イケメン、美人だけ褒められるならまだ良いのですが、やはり他を下げる、下げた言い方をする文化があります。
皆だれかを悪くいうことで、日常のストレスを発散しているようにも思えます。
特にブスな人との関わりが深くなってきたときに、もっと可愛ければ良いのに!とイライラしやすいものです。
ブス・ブサイクというのは簡単に口にできる単語であり、簡単に人を傷つける言葉です。
そんな簡単に傷つけられたことによって人は自信を失っていきます。
自信を失ってしまった人は相手の顔色を伺うようになってしまいます。
そういうおどおどした姿に腹が立ってしまうのだと思います。
腹が立つ姿と容姿を繋げ合わせて腹が立ってしまうのだと思います。